五期会 IN軽井沢 2014
 平成26年9月14日に、「五期会IN軽井沢2014」を、長野県軽井沢町の軽井沢浅間プリンスホテルにて開催いたしました。
 1974年入学の同志が、十年前の2004年に三十周年の同期会を開催。それまでは、不定期での開催だったのを、今後は二年に一度ずつ定期的に開催しようと相成り。以降二年に一度開催。今回は、四十周年を記念しての会となりました。
 前回、次回の幹事として、群馬県、長野県在住者でと指名を受け。東京から、交通の便のいい軽井沢で。また、折角なので前夜祭も含めて、同窓会以外でも十分楽しんでいだこうと、「おもてなし」をご案内。
 連休を利用、土曜日の夜に集合、前夜祭。翌日曜日は、ゴルフ、当方の在住している草津温泉への日帰り温泉入浴ツアー、軽井沢散策、などで楽しんでいただき。日曜日の夜に、本番の同窓会。さらに翌月曜日にも、ゴルフと企画しました。
 生バンドの演奏希望が事前にあり、生バンド演奏可、料理も折角なのでと、テラスでの炭焼きステーキをと。幹事長の井口君のご尽力で、会場を決定しました。
 前夜祭から、十六名の精鋭が集合。焼肉、カラオケで楽しみ、翌日の力を残すことなく全てを発散してしまいした。
 が、まだまだ若い先乗り隊。翌日は、それぞれの企画を十分楽しんで。夕刻、本番を迎えました。
 本番の同期会、三十三名の同志の参加を得ました。二名の方には、翌日に所用、宿泊なしで夜遅い新幹線で帰京という強行軍で参加していただけました。
 五期会リーダーの久津間君の挨拶、乾杯で開演。
 前半の、恒例の自己PRタイムを通常より、短めにお願いして。後半は、この会のために結成された、田口君、中島君、玉木君の三名(名付けて”TNTバンド”、なんと、当日に命名ですが)によるバンド演奏としました。
 前半戦のスピーチタイム。身体の不調の訴え。参加した諸氏は乾杯の時点で本業は忘れています、適切なアドバイス、同情は一切無し。最も、当の本人も、ここでの相談は無理と最初から分かっての発言です。他、親の介護と子供の結婚相手さがしに集中していましたが。お孫さんの誕生の話と、御目出度い話もチラホラ。
 後半戦のバンド演奏タイムでは。懐かしのヒット曲の演奏に続き。参加者に事前に歌唱を指名。指名させて頂いた方は真面目に練習してきていただき、K君の「ブルーシャトー」、T君とY君の「好きさ、好きさ、好きさ」。見事な歌のご披露で幕開け。
 ?君と?君。誰もが恐れる“強面コンビ”に、優しい曲で定評の「思い出の渚」という曲を指名、人選の間違えを指摘されるも、ご両人は意に介さず静寂の軽井沢の夜が震え出す大熱唱。出席者の皆様は、しっかりと耳に焼き付き、今も思い出していただけるでしょう。
 満を持しての登場の ”KGB74”(杏林五期会美女集団74入団) が登場し「青春時代」の美しき歌声には、鳴り止まぬ大拍手、大拍手。
 奥さん同伴者全員で、「君といつまでを」奥様を隣に唄うという、化石となった結婚披露宴のパターンを。まもなく初老を迎えるに当たり、永久の愛を改めて誓い合っていただきました。
 大いに盛り上げていただきました。
 最後。前日に、誕生日を迎えた、久津間君の奥様にサプライズで誕生日ケーキを。一同よりの、久津間君の今までのご尽力への感謝と、今後もリーダーとして君臨し、五期会を引っ張って下さいとの思い手を込めてのプレゼント。
 締めは、幹事代表で神林君に。本番はお開き。
 その後、ホテルのラウンジで、各自、席を移動しながら、昔話、近況、日頃は周囲の先生とは話せない相談などなど、親交を深め、これからの活力源となったと思います
 翌日、精鋭はゴルフを。今回は二日間とも、誰の行いが良かったのか、好天に恵まれました。また他の皆様も軽井沢観光を楽しまれ、それぞれ帰路に。
 我々の入学した時は、教養時代、八王子市宮下町の校舎。全寮制ということで、一年間、学校、寮と、二十四時間一緒でした。
 寮では、朝まで、将来の夢を語り合う日々でした。残念ながら、あの頃の様に夢を真剣に語り合うのは少々無理がありますが。これからも”夢を”語り合える同期会にと、思っております。
 最後になりますが、その場その場で、ナイスなボケと突っ込み、皆様に盛り上げていただき、本当に楽しく有意義なひと時となりました。恐縮の限りです。御礼申し上げます。
 次回は、東京在住の玉木君、三村君に幹事の労をお願いいたしました。“五期会IN東京2016” でお会いしましょう。
「夢を語り合いましょう」。
 
松岡 敏夫
 

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